Shikimiのオーダーシート置き場

推しシーシャのオーダーシート置き場です

仁兎なずな夢小説

f:id:tshikimi:20241228131247p:image

水曜二限、入門ミクロ経済学の講義。一年生の秋学期から始まるこの講座は必修科目で、教授の指定した教科書が必須だ。

二百人は入る大教室の後ろのほうに陣取って、俺は教科書を開いて教授の話を聞いている。開始五分後くらいにバタバタと小走りで教室に入ってくる足音が聞こえた。その足音がだんだんこちらへ近づいてきて――。

「いきなり話しかけてごめん。ちょっと教科書見せてくれないか?」

ふと顔をあげて声のしたほうへ振り向くと、俺は固まってしまった。

(なんて綺麗な人なんだ……)

赤い瞳と目が合った。整った目鼻立ち、明眸皓歯めいぼうこうしの顔貌にピンク色の薄いくちびるがふわりと乗っていて、アシンメトリーに流した金髪の毛先がきらきらと光っている。

(女? それとも男……?)

女にも男にも見える中性的な顔立ちをじっと見たあと、目線を下げていくと白い磁器のような首筋にうっすらと喉ぼとけが浮かんでいるのがみえた。

男だ。

男であることが勿体無いとは思わない。むしろ男であるがゆえに妙な色気が漂っている。世が世なら傾国の美女ともてはやされたであろうその顔に、困惑の色が浮かんだ。しばらく間があって、眉間にしわを寄せた「彼」がすねたような声を出した。

「もう!きいてりゅのか? おれ、教科書買い逃しちゃって……」

「あ、ごめん。どうぞ、隣に座って」

椅子に乗せていたかばんを手早くどかすと、俺は自分の隣の席へ促した。

 

教授の滔々とした語りが大教室にこだまする。

「……教科書四ページを開いてください。先週のイントロダクションでもお話しましたが、経済学とは社会が希少な資源をいかに管理するかを研究する学問です。資源には限りがあるため、社会が保有する資源を管理することは重要な問題となります。社会には限られた資源しかなく、そのため人々が手に入れたいと思う財・サービスをすべて生産できないことを「希少性」といいます。さて、イギリスの経済学者ライオネル・ロビンズは、経済学を「様々な用途を持つ希少性のある資源と目的との間の関係としての人間行動を研究する科学」として定義しました……」

ふと隣をみると、「彼」は教授の話に聞き入っているようだ。ここは曲がりなりにも国立大学だ。現役で入ろうとすると、途方もない苦労を強いられる。かく言う俺も必死で受験勉強をして現役合格した。周りの連中はサークルだのバイトだのに現を抜かしているが俺は違う。初めて触れる学問の洗礼を受けて、俺の胸は高鳴っていた。「彼」の輝く瞳を見ていると、そこには学問に対する純粋な情景が見てとれる。友達になれそうだ、と思った。

「彼」の横顔を眺めていると、首筋に目が惹かれた。綺麗な首筋が汗で濡れている。一筋の汗がつたって、「彼」の胸元へと滑り落ちた。

胸が「とくん」と脈を打つ。

なんて色っぽい男なんだろう。

教授の話はもう頭に入ってこなかった。学問に身を捧げた俺としたことが、いまは隣の小さな「彼」に心を奪われている。心臓の音を聞かれないように、息をひそめてじっとしているほかなかった。

 

「ふえ~助かったよぉ」

「おう」

講義が終わって教授が退室したあと、大教室の出口は大渋滞となっている。その間に俺たちは短く自己紹介を交わした。

「おれの名前は仁兎なずな。おまえは?」

「俺は経済学科一年の竹花。よろしく」

「そっか。そうだ竹花、よかったらこのあと食堂で一緒にごはんを食べないか……?」

俺はゆっくりと頷くと、鞄を持って仁兎と共に席を立った。

これが俺と仁兎なずなの出逢いだった。

 

 

「……花ちん。花ちんってば。おい、聞いてりゅのか?」

「すまん。考え事してた」

二年生の春、俺と仁兎は大学のカフェテラスでお茶していた。最近工事の終わった建物で、俺たち以外にも学生でごった返している。竹花の「花」をとって「花ちん」。俺は仁兎なずなから「花ちん」と呼ばれるようになっていた。

「仁兎に初めて会った日のことを思い出していたんだ……」

「あぁ、おれもよく覚えてるよ。おまえの横顔、薫ちん……あ、おれの知り合いの羽風っていうやつなんだけど……そいつに似てて、声を掛けやすかったんだ」

「羽風の薫といえば、あの『UNDEAD』の羽風薫だろ。その話は何度も聞いたよ」

「そうだっけ?」

「『UNDEAD』の羽風薫といえば、ESのトップアイドルだ。テレビを見ない俺でも知っている」

「『Ra*bits』のおれのことは知らなかったくせに〜〜〜〜」

仁兎が歯ぎしりをしている。実際俺は「Ra*bitsの仁兎なずな」を知らなかった。受験勉強に集中していた高三の俺にとって、テレビは無用の長物だ。俺の買っていたファッション雑誌に度々登場していたUNDEADとは違って、Ra*bitsの名前は聞いたこともなかった。

仁兎によれば、俺はUNDEADの羽風薫に似ているらしい。確かに髪は金髪に染めていて、襟足は肩の長さまで伸ばしたウルフカットだ。

「俺はお前がアイドルだから友達になったんじゃないぞ。仁兎が仁兎なずなだから友達になったんだ。お前はお前以外の何者でもない。お前はそのままでいいんだ」

「花ちん……。花ちんって格好いいな。おれが女だったらおまえに惚れてるりょ……」

「そりゃどうも」

「薫ちんはおれのことを女だと思ってナンパしてきた軟派なやつだけど、花ちんは硬派だよ。そこは全然似てない。薫ちんはいいやつだけど、花ちんはもっといいやつ。おれはおまえが大好きだ♪」

自慢ではないが、俺には一つ特技がある。それは「ポーカーフェイス」だ。仁兎から「大好き」と言われて心臓がドキドキしているが、涼しい顔をしてやりすごした。

「あのときの教科書、結局六週間待ったんだっけ?」

「そうなんだりょ〜。そのおかげで花ちんとこうして仲良くなれたんだ」

一年の秋学期に受講した入門ミクロ経済学は学科の全員が履修する必修科目だ。あの頃仁兎はアイドル復帰に向けて大学とESの往復で、気がついたときには大学生協の書籍部で教科書が売り切れてしまった。出版社にも在庫がなく、次の増刷まで「四週間待ちになります」と職員から言われたそうだ。それが延びに延びて、結局仁兎が注文した教科書が届くまで六週間かかった。それまでの間、俺と仁兎は隣に座って、毎週一緒に講義を受けた。その縁で、俺と仁兎はこうして仲良くなったわけだ。

「……で、本題なんだけど。おれ、次のゼミ選考でおまえと同じゼミを選ぼうと思うんりゃ。あ、噛んじゃっりゃ」

顔を赤くしたかと思えば、仁兎はへなへなと打ちひしがれている。それから上目遣いになると、シャム猫のような甘えた声で、言葉を続けた。

「おまえはおれが大学でできた初めての親友。おまえのいない大学生活なんて考えられないりょ……」

嗚呼、いますぐ仁兎を抱きしめたい。

最近、仁兎が俺に甘えてくる。仁兎は緊張したときよく噛むが、滑舌を笑わない俺を見て、取り繕わなくなった。でもときどきわざとやってるのでは? と思うときがある。そういうときは大抵、俺に甘えたいときだ。

「仕方ないなぁ。俺は山川ゼミを志望するけど、仁兎も山川ゼミでいいか?」

「うん! 花ちんと一緒のゼミを受けりゅ」

仁兎は満面の笑みを浮かべた。

「この姿を『Ra*bits』のファンが見たらなんて言うか……」

「あ、そうだ!『Ra*bits』で思い出した!そういえばこの前新入生勧誘イベントでった『JUMPIN' LUCK BEAT』、どうだった?」

「すごくよかった。仁兎はすごいアイドルなんだ、って思ったよ」

「だろ~~~~♪」

仁兎がうちの大学に入ってから、うちの大学を志望するファンの高校生が増えたという。俺はアイドルには興味が無いが、その気持ちはわからないではない。それくらいあのステージはすごかった。

「それで『Ra*bits』の子たちがさぁ~、うちの大学を気に入っちゃって。今週の金曜日食堂にごはんを食べに来るんだけど、よかったら花ちんも来ないか?」

「俺も行っていいのか?」

「もちろん♪ 聖歌隊のやつらには会わせたんだけど、そういえば花ちんはまだ紹介してなかったなぁ~と思って。『Ra*bits』の子たちにおれの親友なんだって紹介したい」

「仁兎……」

俺は内心胸からこみあげてくる感情を抑えながら、持ち前のポーカーフェイスで仁兎に応じた。

 

 

「こんにちは。俺は『Ra*bits』のリーダー、真白友也ましろともやです」

天満光てんまみつるだぜ!」

「ぼくは紫之創しのはじめです。今日はよろしくお願いします♪」

「紹介するよ。こちらはおれの親友の竹花。花ちんって呼んでる」

「竹花です。よろしく」

大学の食堂の一角で簡単な自己紹介が行われた。

新入生歓迎イベントのステージで見ていたが、こうして実際に対面してみると印象が違う。

真白くんは真面目そうな少年だ。

天満くんは元気いっぱい。

紫之くんは女の子みたいな感じがして、ちょっと苦手だ。仁兎は外見こそ中性的だが、立ち振る舞いは男なので一緒に居て落ち着く。反対に紫之くんは仕草まで気弱な女の子のようだ。俺は女性があまり得意ではない。

「竹花のに~ちゃん、羽風せんぱいにちょ~っと雰囲気が似てるんだぜ!」

「ぼくも思いました」

「言われてみるとそうだな~。俺も羽風先輩に似てるって思います」

「あのな~おまえら。初対面の花ちんにちょっと馴れ馴れしすぎないか?」

そういう仁兎の顔はちょっと赤くなっていた。ひた隠しにしていた秘密がバレてしまったような顔をしている。

「竹花のに~ちゃん! オレも竹花のに~ちゃんのこと花ちゃん先輩って呼んでいい?」

元気のいい天満くんの物怖じしない姿勢に俺は面食らってしまう。しかし俺は天満くんの気さくな感じが嫌いではなかった。

「ちょっと光! 竹花先輩が困ってるだろ~」

「そうですよ光くん。竹花さんを困らせちゃめっ! です!」

続けて真白くんと紫之くんが天満くんをたしなめる。つかの間のやりとりで、俺はいつのまにか真白くんたちのことが大好きになっていた。天満くんの目を見つめてはっきりと言う。

「もちろんいいよ! 天満くんは元気がいいね」

「ありがとうなんだぜ! 花ちゃんせーんぱい!」

「ふふ」

天満くんは愛嬌のかたまりのような子で本当にかわいい。こんなに天真爛漫で朗らかな子供たちに囲まれている仁兎のことが羨ましくなった。

「花ちんが笑った。おれ、花ちんのそういう顔、久しぶりに見た気がするりょ」

思わず仁兎の目を見返した。俺と仁兎は目を見合わせる。そのまま見つめ合っていると恥ずかしくなって、どちらともなく目線を外した。

「に~ちゃんと竹花さんのやりとりを見ていて、ぼく、二人の関係性がちょっとわかったような気がします♪」

「俺も。竹花先輩、に~ちゃんと本当に仲がいいんですね」

「に~ちゃんと花ちゃん先輩、らぶらぶなんだぜ~」

「ふにゃ! もう~~~~おまえりゃ~~~~」

Ra*bitsの子たちが仁兎のことを「に~ちゃん」と呼ぶ。そのやりとりに俺は微笑ましい気持ちになった。

「ふふ。真白くんたちは仁兎のことを『に~ちゃん』って呼んでいるんだね」

「あ、はい。そうです」

「に~ちゃんは、オレたちみんなのに~ちゃんなんだぜ」

「に~ちゃんはぼくたち『Ra*bits』の頼れるに~ちゃんです」

その言葉を聞いて腑に落ちるものがあった。仁兎の交友関係は広い。大学ではテニスサークルや聖歌隊に顔を出して、ときどき俺のもとへやってくる。サークルに入っていない俺をどうして仁兎は連れ出してくれるのだろうといつも不思議に思っていた。その理由がわかったような気がする。テニスサークルの先輩や友達と遊んで、聖歌隊の友達の面倒をみて、『Ra*bits』の子たちの「に~ちゃん」をやっている。そんな仁兎が唯一心安らげる場所が「俺」なのだ。

「……仁兎」

「なんりゃ? 突然真面目な顔して……」

俺の脳内に新入生勧誘イベントのステージで観た「JUMPIN' LUCK BEAT」の詞がこだまする。

思いきり、さあ、叫んでみて!

(HI! HI! HI! HI!)

灼けつくくらい喉を鳴らして響かせて

みよう熱い気持ちを

 

(Ra*bits「JUMPIN' LUCK BEAT」)

今度は俺が叫ぶ番だ。

「俺はお前のすべてを受け容れる。アイドルとしてステージに立つお前も、テニスサークルで球拾いをしているお前も、聖歌隊のやつらを手伝っているお前も、そして『Ra*bits』の子たちのに~ちゃんであるお前もぜんぶぜんぶ。だから仁兎はいままで通り俺に甘えたらいい」

真白くんが絶句している。

天満くんはニコニコと笑っていて、紫之くんは両手で顔を覆った。人差し指と中指の隙間から俺をみている。その様子に俺は恥ずかしくなってしまって、仁兎の顔を見ることができなかった。

「……花ちんのバカ」

仁兎がぷいとそっぽを向いた。その頬が真っ赤に染まっている。

俺は耐えきれなくなってふと真白くんのほうをみると、彼も耳が真っ赤に染まっていた。紫之くんが意を決して静かに口をひらく。

「竹花さんが優しいひとで安心しました。ぼく、に~ちゃんが学校のお友達を紹介してくれるって聞いて、『親友』だって聞いて、どういうひとなんだろうって思ったんです。悪いひとに捕まっていたらどうしようって。でも、杞憂でした。あなたの顔をみていたらわかります。に~ちゃんの目に狂いはなかった。竹花さんはとってもとっても素敵なひとで、ぼくでも胸が高鳴っちゃいそうです。あなたのその澄んだまなざしで、どうかに~ちゃんのことを見守ってあげてください。ぼくたちのに~ちゃんをよろしくお願いしますね♪」

俺は紫之くんの目を真っすぐに見つめ返すと、静かにゆっくりと頷いた。

「さぁ、みんなでごはんを食べよう。仁兎、俺が真白くんたちを案内してもいいか?」

「……うん」

茹でだこのようになった仁兎はしばらく使い物になりそうにない。

「俺、オムライスがいいです」

「ぼくはお肉の唐揚げ丼」

「オレはパン! そうと決まればダッシュダッシュだぜ~♪」

「あ、こらまて! 花ちん、光ちんを追いかけて!」

椅子から立ち上がって勢いよく駆け抜けていった天満くんを見て、俺は胸がいっぱいになった。この幸せがいつまでも続けばいい。仁兎が俺のことを見ている。

俺は静かに立ち上がって、仁兎に頷き返すと、天満くんの後を追いかけた。